さんぽ日和

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『水死』を読みまして

大江健三郎さんの水死を読んで。

私は、別に文化系の学部を出たわけでもなくこの本の中にあるような訳についての会話などちんぷんかんぷんだったし、登場人物についての分析をする訳でもないのだが、とにかく読み終わったあとの感想を書こうと思う。

大江氏の小説は好きで、「死者の奢り」「個人的な体験」「取り替え子」「 万延元年のフットボール」「レインツリーを聴く女たち」「二百年の子供」(並べてみるとこんなにも読んでいたのかと驚いた!)を読んでいたので、なんとなく水死を読んでいても、登場人物や、四国の森の伝承に関して、あぁ、あれね、と所々は理解できたが、なんのことを言っているのだろうこれは他の作品も読まないとわからんやつだと思う部分もあった。こんな風に事前に何作か読んでいたのでなんとか挫折せず読めたけど、大江氏の小説に手を出した時、この水死を一番初めに手に取らなくてよかったーと思った。これも本が導く不思議な運命かな。

赤い背表紙に水死の文字、帯には、「終戦の夏、父はなぜ洪水の川に船出したのか?」とある。こんなん面白くないはずがないやと思い私はこの本を読み始めたのだが、なかなか主人公のコギトは物語を進めないし、なんならもう70超えたおじいさんだし。個人的な体験ほどの、あのウィスキーにまみれた鬱屈した若者を期待していた私は、なんだか肩透かしを食らったようだったが、それでもまぁ徐々に面白くなるに違いないやと思い読み進めていった。淡々と読み進めていき、そして終わった……。私が期待していたもの、それは飼育のようなぎっとぎとな世界観だったかもしれない。でも水死はそうではなかった。

話は淡々としているんだけど、なぜか惹き込まれて読んでしまう。森の家のただの日常がどこか遠い国の暮らしのように見えてくる。だれか偉い人が大江氏のなんかの解説で異国情緒があるといっていたナ。登場人物みんな仕事をテキパキとこなしている。

私が感じたものは、思わず陶酔してしまうようなあの戦争に浸るのではなくて、今の新しい人(ウナイコやリッチャン)たち本人の声を伝えることが自分の水底で沈む父の死をかくよりも今の老年の自分自の使命であるとコギト自身、そういう風に思ったのかしらんなんて思ったのだけれど、私がこのように書くとちっぽけで浅くなっちゃうのが悲しい。けどまぁ、読んでいてそうなのかなぁと思った。女性の一揆はいつだって邪魔されるんだ…。やっぱりメイスケ母一揆と同じ結末になった。人間は虚しくも過去の過ちを繰り返しちゃう生き物なのでしょうか?

話は変わるが、金枝篇を読んでみたいと思った。文化人類学ってロマンが沢山詰まっている気がして興味ありすぎる。

 

大江氏の小説は、どこまでが現実でどこまでが想像なんだろうと不思議に思う。えっこれって現実にあったことなの?と読む度に思う。

それは言葉のもつ不思議さから来るんだろうか。言葉が色んな形で組み合わさって、独特な世界観が見えてくるのかな。あと、伝承って面白いな。私も四国の森にでてくるような四方を森に囲まれた田舎で育ち、近くの神社では村人が集まっての祭り、そこでの独特な踊りを経験したことがあるので、自分の故郷での伝承なんかを調べて見たい気持ちにもなる。そして、自分のおじいちゃん、曽祖父に遡っただけで明治、大正、明治維新、下手したら江戸時代まで遡ることは簡単に出来て、それは今と地続きになっているんだということが奇妙で、家の蔵なんかを探索したい気持ちになる。私の故郷でももしかしたら、スーパーの襲撃や一揆を起こしているのかもしれない。現在おばあちゃんは認知症で話すことが出来ないが、もっと昔の話を聞いておくんだったなあなんて思う。私も、祖先の誰かの人生をなぞって生きているのかもしれない。

#大江健三郎